az-ldm’s blog

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3月11日のこと

10年前の3月11日から数日後に書いた、当時やってたブログからの転載。

 


 

最初の地震が起こったとき、俺は都内にいた。
その日は朝から良く晴れた金曜日で、今夜のまどかマギカ楽しみだなぁ土日は何をして過ごそうかなぁ、などとのんきなことを考えつつ過ごしていた。

そんな平和ボケした脳を揺さぶったのが、14時40分頃のこと。
最初に揺れを感じたときこそ、まあよくある小さい地震だろうぐらいに思っていた。
しかし一向に揺れが収まらない。それどころか横揺れは徐々にその強さを増していく。
あれ、これもしかしてヤバいんじゃね?と思う頃には机の下に避難していた。

揺れが収まってから程なくして帰宅許可が出て、表に出るとそこには信じがたい光景が広がっていた。
道路がとにかく人でごった返している。歩道を埋め尽くして車道まで侵食するほどに、とにかく道路が人で埋め尽くされていた。
駅に向かうとシャッターの下りた改札口が、全線運休という事実を無言で突きつけていた(そもそも改札口にシャッターが下りたとこなんて初めて見た……)。

とにかく鉄道網はその全てが絶たれてしまったので、徒歩での帰宅を余儀なくされた。
帰る道すがらスマフォでニュースやらTwitterやらを確認して、この地震による東北の惨状を知った。

歩いてるうちに日も落ち、寒さと心細さで正直心が折れそうだったが、5時間ぐらい歩き続けてようやく自宅にたどり着いた。
今思えば無理せずどっかネカフェにでも泊まって電車が動き出すのを待てば良かったんだが、そのときは自宅の状態が心配で居ても立ってもいられなかったってのが正直なところ。

幸いにも部屋の中にはこれといって被害を受けたところはなかった。
自宅周辺は揺れがさほど強くなかったのか、建物の耐震構造がしっかりしていたのか、とにかく家の中が無事だったことには一安心した。

震災当日の俺の身の周りの状況はこんなところ。
原発の事故や輪番停電、それに伴う鉄道の運休、たびたび起こる余震など、現在でも不安は尽きないが、本当に深刻な被害をこうむった東北の人たちに比べれば俺が置かれている状況など実に瑣末なものだ。

被害に遭われた方々に心よりお見舞いを申し上げます。
俺にも何か、被災地のために出来ることからしていきたい。